- 2025/09/12
エレガントな東京 vol.2葡萄色の現在地
YouTubeのチャンネル登録者数56万人を超えるコンビ「エレガント人生」による、東京エキマチエリアを舞台にしたショートストーリー。
エレガント人生
山井祥子、中込悠によって2020年結成。繊細な人物描写が多くの共感を集めるYouTube「エレガント人生チャンネル」はほぼ毎日更新。コンビとして初の著書「酔い醒めのころに」(玄光社)が販売中
お気に入りのブラウスが破れている事に、洗濯した後で気がついた。当たり障りのないベージュという色味も体型をカバーする身幅の広さも、なにかと都合がよかったこのブラウス。左の脇腹に空いた二センチほどの穴をしばしにらんだ後、繕うのは面倒だという結論に達したので、新しいものを買いに出ることにした。幸い今日は土曜日だ。真凜が通っているプール教室の送り迎えは夫にお願いしよう。
日本橋をスニーカーで歩くのは変な気持ちだ。ここで働いていた時は決まってヒール五センチのパンプスを履いていたから。例のブラウスを買ったのはコレド室町だったか髙島屋だったか。今じゃ考えられないが、あの頃は職場でナメられないように『実年齢より年上に見える服』を選んで買っていたんだよなぁ。それが今やちょうどいいものになってしまったのだから時の流れは恐ろしい。家の近所の服屋で似たものを探してもよかったのだが、なんとなく、あのブラウスに変わるものはこの街でしか買えない気がした。
自動ドアが開いて涼しい風が火照った体を包む。ひとまず例のブラウスと同じブランドを探そう—— と歩いていると、突然、フューシャピンクのブラウスを着たマネキンが目に飛び込んできた。
「いらっしゃいませ! お試しなさいますか?」
店員の笑顔に吸い込まれるように服屋に入ってしまった。ひとまず店内からブラウスをピックアップして試着室の壁に掛けていく。アイボリー、ネイビー、ブラック。一応あのフューシャピンクも持ってきてみたが、絶対に似合わない。デザインは許容範囲内だが、色がかわいすぎるもの。
ただ、このピンクを買ったら真凛は喜ぶだろうなぁ。あの子はかわいい物が大好きだから。この前なんて「今日ママこれ着てね!」と自分のユニコーン柄ドレスを突き出してきたほどだから、私の事もかわいくさせたいのだと思う。
ユニコーンよりは似合う余地があるか、とピンクのブラウスに袖を通してみる。そして恐る恐る鏡を見ると、やはり恐れていた通りの姿が映っていた。目がさえるほどのピンク色は誰がどう見ても似合っていない。まるでめかし込んだジャガイモだ。私は恥ずかしさを感じる前に光の速さでピンクを脱ぎ捨て、アイボリーのものに着替えた。次にネイビー、次にブラックを試着していく。不思議だ。試着しても試着してもしっくりこないのだ。この後に及んでまだピンクが気になっているというのか? 都合がいい服と、かわいい服。頭ではどちらを買うべきか分かっているのに。『自分をどう見せたいか』という軸があったあの頃は、こんなに買い物に苦労しなかった。
その時、試着室のドアをノックする音が聞こえた。店員がもう一つブラウスを持ってきてくれたのだ。それは半袖のブラウスで、素材はやわらかい麻だった。色は葡萄色。
鏡の中の自分を認めた瞬間「あぁ、これが今の私なのか」と妙に納得してしまった。悪目立ちしないけど華やか。なじむけど、かわいい。ピンクより無理がない。葡萄色が私の現在地。
帰ったら真凜にこの服を見せてみよう。そんな気が起こった事が、なんだかどうしようもなくうれしかった。(write/祥子)
Backnumber
Recommend
\ 最新号のエキマチは /E-Book
- 夏だから
アクティブに行こう!Vol.
62 -
・アクティブに行こう・夜あそびのススメ
【連載】・アートの一歩・異業種Talk・東京土産のヒミツ・エキナカさんぽ ほか