文=塩田 麻衣子 撮影=鈴木 愛子・北原 千惠美
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親柱の姿に川と橋の在りし日を思う
〔3〕 京橋記念碑
京橋は、現在の八重洲2丁目付近の外濠(そとぼり)から銀座1丁目にかけて流れた京橋川に架かっていた橋。架橋は日本橋と同時期の1603年(慶長8)頃ともいわれ、1959年に始まる埋め立て工事で姿を消した。詩人・佐々木支陰の筆になる橋名を刻んだ明治時代の親柱2基と、照明を備えた大正時代の親柱1基が残る。
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今昔が混在するオフィス街のオアシス
〔4〕 パレスホテル東京 オールデイダイニング グランド キッチン
日比谷通りと内堀通りに挟まれたオフィス街に佇む、パレスホテル東京内のレストラン。天井高6mの開放的な室内からテラス席へ出れば、眼前に和田倉濠を望む。
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通りの名前で知る金融の街に流れた川
〔5〕 旧「楓(もみじ)川」
日本橋兜町付近には、日本橋川から分流した運河、楓川が流れていた。現在は道の名称「江戸・もみじ通り」に名残をとどめる。橋の親柱が残るのは、魚河岸「新肴場(しんさかなば)」の省略が由来の新場橋(スライド1枚目)。日本初の商業銀行「第一国立銀行」がその橋詰めにあった海運橋(スライド2枚目)だ。千代田橋(スライド3枚目)には親柱以外に欄干も残り、水のある風景を想像させる。
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水運の要だった江戸城の痕跡
〔6〕 かつての外濠
現在の外堀通りは、かつては江戸城外周にあった「外濠」。水運の要だった時代もあるが、戦後、水をたたえていた濠は埋め立てられて道路などに変わった。八重洲中央口前交差点が一般道「外堀通り」の起終点とされる。八重洲駅前広場の一角には、八重洲南口付近で発掘された外濠の石垣の一部が再現されている。