日比谷公園大音楽堂の伝説 いつの時代も

初代の日比谷公園大音楽堂(通称:野音)ができたのが1923年。
以後、この地は日本を代表する野外コンサート会場として、数多くのアーティストたちに愛されてきた。
エキマチを代表する音楽スポットの歴史を“伝説”とともにたどっていこう。

構成・文=ガモウ ユウイチ 編集協力=小野 和哉(都恋堂)

国内の野外音楽堂の代名詞的存在として知られる、日比谷公園大音楽堂。一般には〝野音(やおん)〟の名称で親しまれ、1970年代には、外国人ミュージシャンといえば武道館、日本人ミュージシャンといえば野音が特別なコンサート会場として位置付けられていた。
野音での初期の重要なコンサートといえば「10円コンサート」だろう。「10円コンサート」は、正式名称を「ニューロック・ジャム・コンサート」といい、1969年9月22日に成毛(なるも)滋の呼びかけで開催。前月にアメリカで行われた「ウッドストック・フェスティバル」を生で体験してきた彼の自主興行で、その名のとおり入場料10円のコンサートだった。事実上の日本で初めてのロックフェスであり、最初期にPA(音響拡声装置)を使用したコンサートだ。
主催の成毛滋は、日本の3大ギタリストの一人でありながら、3大キーボーディストの一人でもあったマルチ・プレーヤー。祖父がブリヂストンの創業者の石橋正二郎で、鳩山威一郎のおい、鳩山由紀夫・邦夫のいとこという名家の出身だ。このコンサートの成功をきっかけに、野音では日本のロックバンドやフォーク勢などが集結するイベントが相次いで開催されるようになっていった。

怒涛のごとく生まれた数々の伝説
1975年4月13日には、キャロルの解散コンサートが行われた。アンコールの最後の曲である「ラスト・チャンス」の演奏直後、特殊効果の爆竹の残り火が舞台上の発砲スチロールに燃え移り、「CAROL」という電飾が炎上するというハプニングがあった。それは文字通り燃え尽きた彼らを象徴するようなシーンだった。
キャロルからソロとなった矢沢永吉は、デビュー1年後の1976年7月24日に「ザ・スター・イン・ヒビヤ」と題して野音でソロ・ライブを行う。ソロに転身した彼の凱旋コンサートとして大成功を収めた。
1977年7月17日には、キャンディーズのツアー「サマー・ジャック77」の初日公演ではコンサートの終盤、人気絶頂の最中にもかかわらず「私たち、今度の9月で解散します!」と解散宣言をし、社会現象となった。
1981年の5月30・31日にはRCサクセションがライブ「PLEASE ROCK ME OUT」を行った。当時は年間100本近くのホール・コンサートと野外フェスティバルに出演しており、彼らが最も勢いづいていた時期のライブだ。
1984年8月4日には、浜田省吾、タケカワユキヒデ、尾崎豊などが出演したフェス「ATOMIC CAFE MUSIC FES.'84」が開催。尾崎豊は、高さ7mの照明から飛び降りた際に左足を骨折したが、それでも「Scrambling Rock'n'Roll」などを最後まで歌い上げ、彼の名前は広く知られることとなった。
1987年からは、SHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェス「NAONのYAON」が開催される。当時はまだ少なかった女性ミュージシャンのみのイベントということで、音楽雑誌でも大きく取り上げられた。ブランクを挟みながらも、現在も定期的に開催されており、野音を代表するイベントとなっている。
日本のロックフェスやロックコンサートの原点といわれている「10円コンサート」が成功していなければ、日本のロック・コンサートの歴史はもう少し遅れていただろう。野音というロックにピッタリな会場の存在は、日本がコンサート大国に成長した理由の一つかもしれない。

    • 矢沢永吉、RCサクセション、「NAONのYAON」
    • 矢沢永吉、RCサクセション、「NAONのYAON」
    • 矢沢永吉、RCサクセション、「NAONのYAON」

      「NAONのYAON 2018」写真:SHIGEYUKI USHIZAWA

    • 矢沢永吉、RCサクセション、「NAONのYAON」

      「NAON NO YAON 4」

    矢沢永吉、RCサクセション、「NAONのYAON」

    キャロル解散後、1976年にソロアーティストとして矢沢永吉の存在感を示した凱旋コンサート。ライブから25年後の2001年にはDVD化された。バックは、高中正義や後藤次利などが在籍したサディスティックスなどが担当。

    1981年のライブを収録したRCサクセションDVD『PLEASE ROCK ME OUT』。MCやオープニングのSE(効果音)まで、完全収録されている。事務所の倉庫からマスター映像が発見、2016年に発売。

    SHOW-YAの提唱による女性だけのロックフェス。今までカルメン・マキ、プリンセス プリンセス、アン・ルイス、相川七瀬、SCANDAL、土屋アンナ、森高千里など、国内を代表する女性アーティストが参加した。

    • 日比谷公園大音楽堂の伝説 伝説を巡る

    日比谷公園大音楽堂の伝説 伝説を巡る

    1923年◎初代大音楽堂が完成
    1969年◎「10円コンサート」(フライド・エッグ、パワーハウスなど)開催
    1972年◎唄の市(泉谷しげる、古井戸)開催
         ◎五つの赤い風船 解散ライブ
         ◎フライド・エッグ 解散ライブ
    1974年◎「琉球フェスティバル'74」開催
    1975年◎「サマー・ロック・カーニバル」(ハックルバック、シュガーベイブ、バックスバニーなど)開催
         ◎キャロル解散コンサート(炎上事件)
    1976年◎矢沢永吉のソロデビュー1年後の凱旋ライブ
    1977年◎キャンディーズ解散宣言が社会現象に
    1981年◎RCサクセション日比谷野音での伝説のステージ
    1984年◎尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件
         ◎ふきのとうデビュー10周年記念コンサート
    1985年◎「JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL」(聖飢魔Ⅱ、ANTHEM、FLATBACKERなど)開催
    1987年◎LAUGHIN' NOSE 絶頂期にライブ
         ◎「NAONのYAON」(SHOW-YAなど)第1回開催
    1993年◎小沢健二ファースト・ソロ・ライブ
    1995年◎BO GUMBOS最終公演
    1996年◎「SWEET LOVE SHOWER'96」(サニーデイ・サービスなど)開催
    2006年◎デキシード・ザ・エモンズ解散ライブ
    2008年◎ハナレグミやレキシのメンバーが在籍していた SUPER BUTTER DOG 解散ライブ
    2013年◎10円コンサート 1969-Rock'n Hibiya REVIVAL(日比谷野外音楽堂90周年)
    2017年◎plenty ラストライブ開催

    ※イベント情報に関してはhttp://hibiya-kokaido.com/yaon_saiji.htmlを参照。
    ※補修工事につき、2018年11月1日~2019年3月31日使用分までは受け付けを停止。

    詳細情報はこちら

    • 証言者が語る キャンディーズ解散宣言の衝撃

    証言者が語る キャンディーズ解散宣言の衝撃

    1977年7月17日、当時高校生で金沢に住んでいた僕は友人Y君からの電話で解散宣言を知りました。同じくキャンディーズ仲間のO君がこのライブに参加していて、ポケットに入っていた60円でY君に電話したのです。会場はパニック状態で、日比谷公園の公衆電話に多くの人が殺到したといいます。翌朝帰って来るO君に合わせて、Y君宅に集まった仲間は全員放心状態でした。実はキャンディーズは解散ライブの前夜祭でも野音の地に立っているのです。僕も参加して、ファンによる応援歌「3つのキャンディー」を歌いました。ファンにとって野音は特別な地。40年以上過ぎた今も足を運ぶと、切ない思いがよみがえります。(著述家・編集者 石黒謙吾談)

    石黒氏の思い出の品という応援グッズは、手製のハチマキ。高校生の頃、2mの黒いハチマキにレインボーシールで文字を貼り付けた。解散宣言が行われた野音で、同じようなハチマキを着けた熱いファンたちは何を思ったのだろうか。

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