大作からミニシアターまで映画の街・日比谷&有楽町の変遷をたどる

編集協力=小野 和哉(都恋堂)、篠賀 典子 取材・文=内藤 孝宏
写真提供=株式会社 東宝(右列3点)、共同通信社(左下)

「映画館が洋画をロードショー公開していた昭和の時代、日比谷・有楽町の映画街は日本映画文化の中心地でした」と語るのは、東宝の元興行担当役員の髙橋昌治さん。当時、大作映画はこの地の映画館で上映後、地方へ広がっていった。ところが平成に入ってシネマコンプレックスが普及し、映画は全国一律で公開されることになった。オンリーワンだった日比谷・有楽町はワン・ノブ・ゼムとなり、新作をいち早く観たいと訪れていた人たちの行列は姿を消した。
「とはいえ、独立系の名画を単館上映するミニシアターの文化が根付いたのも平成という時代なのです。時代は変化しても、映画街で映画を観るという文化は、消えることはないでしょう。今、日比谷&有楽町は映画館の集積で日本一の興行の街です」(髙橋さん)

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